yamauchinaoの日記

漫画を描いたりしています

わたしはいまやわらかい声をだしている

自分の声が嫌いだった。どんなにメンズファッションに寄せた格好をしようが、外で店員さんに声をかけられた瞬間、口から出てくるのは高くて細く、絶望的なまでにべっとりと性別を振り分けられる声だ。

外見と声との落差を痛いほど感じて、私の心からは感情がザッとふるい落とされ、ただただ相手が嫌悪を催さないようにと従順にふるまってしまう。おすすめしてくださった商品に興味があります、ちょっと見せてもらってもいいですか。本当はそれまで私への対応をどうしようか悩んでいたくせに私が声を発してから”やっと見つけた”とでも言いたいかのように何度も何度もしつこく「女性でもお使いいただけますよ!」と言う店員さんの口にジッパーをつけて閉じてしまいたかった。そんな暴力的なことを思うくらい、私はその場で「女性だ」と言われ続けたことに苦しめられていた。苦しめられているのに相手が好みそうな対応をしてしまう。それ、ひとつ買おうかな。そのあと他の店も回ったが心地いいと感じる場所がどこにもなかったので帰ることにした。家に辿り着いてから二千円と引き換えに手にした、爪で引っ搔いただけですぐに落ちてしまう男性用身だしなみネイルをぼんやりと眺めていた。

この事件があってから私は自分の声が自分をいつか殺すのではないかと恐怖するようになった。

自分に殺されてはたまらないので慌てて対応策を練った。行きついた先がボイストレーニングだった。トランスジェンダーの友人たちのなかで、声で性別を即断することが出来ないような人たちがちらほらいたため、私も訓練することで同じようになれると思ったのだ。どきどきしながらSkypeの画面越しに先生に会った。どうなりたいのか、どうしていきたいのかを話す。「少年声くらいだったらなれるかもしれません」と言われて、舞い上がりそうな気持ちになる。この私が、少年のような声を持つ人間になれる……?

実のところを言うならば喫茶店の渋い男性店主のような声になりたかったが、無茶も無茶であるというのは分かっていた。少年声というものであっても、女性であると勝手に判断されないような声が手に入るのならばなんでもよかった。泥の沼で藻掻く私を助けてほしい。助けてもらえるのなら、なんでも、なんでもやります。

レーニングというものは総じて地味で回数を重ねていくしか他に上達の方法はなく、ボイストレーニングもまた同じだった。回数を重ねるごとに声に張りが出てくる。低い声も出せるようになってきた。しかしそれは”女性”の音域を出ない声である。レコーダーで何回も自分の声を聴いてみたけれど、少年声に達するにはあと数年はかかるのではなかろうかと思う進捗状況である。そんなとき、喉に違和感が出るようになった。低い声を日常的に使うようにと言われてその通りにやっていたのだが、私にはその音が低すぎて声帯を痛めてしまっているらしい。そこからトレーニングの内容はいかに喉への負担をかけないようにしながら低い声を出すか、というものに変化していった。当然、低い声は出しづらくなるわけで、少年声なんてものもさらに遠のくこととなる。ボイストレーニングでも突破できないものがあるのだ、というある種の諦めが生じたのはこの時点だった。

ある日、先生に「ボイストレーニングをやめます」と伝えた。ちょうどアルゼンチンタンゴへの興味も出てきたところで、仕事のことを考えても私にとってやることが多すぎることも理由のひとつにはあった。でも一番大きな理由は自分の声はもう、どうにもしようがないのだ、という感覚だった。私はおそらくこの先たくさん頑張ったとしても、口から声を発した瞬間に「女性だ」と勝手に振り分けられてしまうだろう。そのことを引き受けるしかないのだ。勝手に振り分けられたときに「それは違います」ときっぱり言うなり、スルーして相手が作り上げている架空の女性の役を演じるなりするしかない。私なりに声を変えることを頑張ってみたけれど、身体に負担がかかって将来的にポリープなどが出来てしまう可能性が高くなるのは嫌だ。

自分の声を低くコントロールすることを諦めてから人と話す機会があり、そのときに「あなたの声は柔らかくて心地がいいからもっと話したくなってしまう」と言われた。なるほど私の声はそのようにも聞こえるのか、と思い、目から鱗が落ちるような気持ちになった。それならいいじゃないか。話す相手にとって気持ちがいい声なら、先生と一緒にいろんな練習をした甲斐もあったというものだ。もう十分、私は抗った。自分の可能性を試して、未知の領域に足を踏み出し、そこから帰ってきた。

わたしはいまやわらかい声をだしている。